副題は「常識に盾突く思考のレッスン」です。
新書で法哲学の本が出るのは珍しいように思います。
「はじめに」によると,哲学とは既成の知を徹底的に疑うことであり,法哲学はその思考を法律に対して向けたものとされています。そうすると,法哲学はどちらかというと哲学の中の一分野ということになりそうです。
そして,法哲学には「天使の顔」と「悪魔の顔」とがあるとされます。「天使の顔」は実定法学に協力することだが,「悪魔の顔」は現行法体系の基礎原理やそれを支えている社会の常識などを容赦なく批判していくことであり,筆者の法哲学も悪魔の顔寄りと述べます。
普通に「法学」と言った場合は実定法学のことを指し,具体的には憲法学やら民法学やら刑法学やらになります。条文を解釈してルールを明確化し,個別の具体的な事例にあてはめて解決できるようにするという学問です。
そして,条文を解釈する際には,その条文がなぜ規定されているかという条文の趣旨,あるいはその法律全体の基本原理にさかのぼって考える必要があります。そうでないと,「なんとでも解釈できる」ということにしかなりません。
そうすると,実定法学を学習するということは,条文の趣旨や法律全体の基本原理に習熟することとも言えます。もちろん,どのような事例にどの条文が問題となるのか,そしてその条文はどのように規定しているのかは,前提知識として当然知っておかなければなりません。
さて,条文の趣旨や法律全体の基本原理に習熟していくと,もちろんその法律に対する理解は深まっていくわけです。その際には,法哲学の考え方も大いに参考になります。たとえば憲法14条の平等について学習する際には,そもそも平等って何だろうということに思いを馳せなければならないわけです。法哲学の「天使の顔」がこのときに出てくると言えます。
ですが,理解を深めていって自分のものとしていくと,逆にその法律の考え方を当然視していってしまう,自明のものとして疑わなくなってしまうという面も生じてきます。そういうときに,法哲学の「悪魔の顔」の出番です。法学を学習すると頭の柔らかさを失ってしまいがちですので,「悪魔の顔」もとても大切だと思います。
11章にわたって様々なテーマが取り上げられており,切れ味のいい文章であれこれと常識を揺さぶってきます。揺さぶられるために,是非読んでみるとよいでしょう。
むろん,既成の知を徹底的に疑うというのはこの書籍の内容に対しても向けられるのでしょうから,「なるほど!」ばかりでなく「そうかなあ?」と突っ込みを入れながら読むことをおすすめします。
サンデル教授の授業のように,具体的な事例の検討から入ってもよかったかなと思います。
あと,「高齢者だから健康状態を考慮し,逃走や証拠隠滅のおそれがないから」といって10ヶ月も起訴が猶予されていたことはおかしいとあります(P.219)。
しかし,「逃走や証拠隠滅のおそれがない」というのは逮捕されずに在宅事件になったことについての話であって(刑事訴訟規則143条の3参照),起訴が10ヶ月遅れた理由ではないんじゃないでしょうか。また,起訴まで10ヶ月かかったのも,大事件なので慎重に捜査していたのだとすれば,さほどおかしなことではないんじゃないでしょうか。さらに,起訴まで時間がかかることは,被疑者にとっても落ち着かない生活が続くということを意味しますので,あまりメリットではないんじゃないでしょうか。