『日本人の法意識』川島武宜


 著者の川島武宜先生は,民法学者・法社会学者として高名な方です。我妻榮先生門下のお一人です。

 出版されたのは1967年と50年も前ですが,大ロングセラーとなっており,現在でも読み継がれています。

 松岡正剛『千夜千冊』の第267夜で取り上げられているばかりか,内田樹先生も『「日本および日本人論」として読むべき本』に挙げておられ,別の記事には「その本は私に深い衝撃を与えた」とあります。
 どうやら,単なる法学書にとどまらない広がりをもった書物と言えます。法学書でこういうのはけっこう珍しいんじゃないかと思います。

 日本は明治時代に西洋から近代的な法制度を導入したわけですが,西洋由来の近代法思想と日本古来の法意識との間には大きな隔たりがありました。
 まあ,当然です。育ってきた環境がずいぶん違うわけですから。法制度をいきなりぽんと導入したからといって,簡単にころっと国民の意識が変わることはないでしょう。

 西洋では「権利」と「法」はイコールであり,どちらも例えば"Recht"といった同じ言葉を使います。しかし,日本には「権利」という言葉は存在しませんでした。明治期に輸入された概念です。
 そのためか,西洋ではイェーリングが『権利のための闘争』で主張したように,法=権利のために闘争することは義務なのだと考えられていますが,日本では権利を主張したりすると,それだけで自己チューだの秩序を乱す輩だのと見なされがちです。

 西洋では,契約の内容はきっちり明確にしよう,そうでないと後でトラブルになったときに困ると考えられていますが,日本では,むしろあいまいなほうが落ち着く,そのほうが後で事が起きたときに融通をきかせることができる,と考えられています。

 あるいは,西洋では,いったん約束したら守らなければならないと考えられていますが,日本では,いったん約束したとしても後で柔軟に解決したらいいと考えられています。約束したじゃないかなどと文句を言って履行を迫るほうがおかしい奴という扱いを受けかねません。

 いったい日本人のこのような法意識がいったいどこから来たのでしょうか。聖徳太子の「和をもって貴しとなす」からでしょうか。しかし「武士に二言はない」というのもあります。興味深いところですが,川島先生もこのあたりは深く立ち入っていません。

 ともあれ,50年前に川島先生が指摘された日本人の法意識は,現在でも相当程度残存しているように思えますがいかがでしょうか。

 内田先生のように「日本および日本人論」として読むこともできますし,法学を初めて学び始めたときに感じる違和感の正体として読むこともできそうです。
 西洋の法制度のもとでは,人間関係をすべて「権利」でとらえるのであり,人はすべて平等の存在であり,個人と個人とは対等であって権利の有無によってのみ規律されるのであり,このことは国家との関係でも同様で国家と国民とは対等であって権利の関係でとらえられます。これが法学の出発点ですが,なかなか馴染めないかもしれません。

 一般教養としても読んでおくべき文献と言えます。冒頭は飛ばして第2章の二から読んでもいいでしょう。具体例が多く読みやすくなります。