民法初伝一日目:所有しなければ始まらない

 

1 所有しないと生きていけない
 人は生きていくために,多くの物を消費したり使用したりします。服を着たり家に住んだり車に乗ったり本を読んだり,いずれも物が関わってきます。
 たとえばバスに乗るときのように,自分の物でなく他人の物を利用させてもらうことも多いでしょう。
 しかし,物を食べるときなどは,自分の物でないといけません。勝手に他人の物を食べては犯罪です。あるいは,服や消耗品などは,自分の物であることが大半でしょう。
 生きていくためには,何かを所有することが必須とも言えます。わたしたちは,自身の所有物に囲まれて生きています。

2 他人と取引するためには何かを所有していないといけない
 経済活動という観点でも考えてみましょう。
 他人と取引するということは,自分の所有する物を売って相手からお金を手に入れるということです。もし自分が何も所有していないと,つまり無一文だと,取引の相手にしてもらえません。取引に参加するためには,何か財産を所有していることが前提として必要です。
 というわけで,経済活動を行うという面からも,やはり何かを所有していることが必要です。
 そこで,民法の最初に,まずは「所有権」を学習します。

補足:所有権と所有・所持
 もしかしたら,「所有」と「所有権」とは違うんじゃないかといったことが気になる方がいるかもしれません。また,似たような言葉に「所持」や「占有」もありますので,補足しておきます。
 民法では,「所有」しているということは,正当に所有権を有していることを意味します。いわば法的・観念的状態であり,目には見えません。したがって,所有と所有権とはだいたい同じ意味で使っていると思ってもらっていいでしょう。
 他方で,手元に置いて「所持」しているという場合は,そういう事実・物理的状態を意味します。所持している人が所有権を有しているかどうかは不明です。所有権者が自分の所有物を所持している場合以外にも,所有者から適法に借りていることもあるでしょうし,泥棒が盗んで所有権もないのに所持しているのかもしれません。

補足:所持と占有
 さらに,所持している中でも,自分の利益のために所持している場合を「占有」と言います。法律用語です。占有については民法180条に規定があります。
 しかし,自分の利益のためでなく所持しているという場合は,具体的にどんな場合かというとあまり思いつきません。泥棒でも自分の利益のために盗んで所持しているはずです。そういうわけで,民法180条には「自己のためにする意思」と書いてはあるんですが,この部分はほとんど無視されていると言われています。
 したがって,理論上は所持と占有は別概念なんですが,イメージとしては同じものと思ってもいいでしょう。
 占有についてはまた出てきますので,今は軽く読み流してください。

余談:有産者のための法
 何も持ってない人は取引活動ができませんので,取引について規定している民法は問題になりません。このことから,民法は金持ちのための法だと言われることがあります。たしかに,民法にはそういう面があります。
 しかし,貧困問題を解決するのは民法の問題ではなく,社会福祉の問題です。また,民法は,当初は金持ちだけのための法でしたが,少しずつ一般市民のための法に転化していったと考えることもできます。
 そういうわけで,民法は金持ちのための法だからけしからん,民法は弱者を無視しているといった批判をすることは,少し的外れでしょう。

3 所有の歴史
 「所有」というのは日常用語でもありますし,人が何かを所有するというのは当たり前のことのように思えます。
 ところが,所有することがしっかり保障されるようになったのは,つい最近のことです。所有権を学習するにあたって,最初に所有の歴史をたどってみましょう。

4 フランス人権宣言17条
 ここで,法学入門にも出てきた「フランス人権宣言」をひもときましょう。フランス人権宣言は六法には掲載されていないかもしれませんが,ネットか何かで見つかると思います。
 フランス人権宣言の最後の条文である17条を見てください。「所有は,神聖かつ不可侵の権利である」と厳かに書いてあります。神聖にして侵すべからずとはまたすごいですよね。
 わざわざフランス人権宣言がこう宣言しているということは,近代より前の時代では,所有は神聖でない侵すことのできる権利だったということです。

5 かつては所有は保障されていなかった
 近代より前の時代では,人が何かを手に入れたとしても,その所有はしっかりと保障されたものではありませんでした。乱暴な領主や王様に,いつ自分の財産を取り上げられてしまうかわかったものではありませんでした。
 このような状況では,自由な経済活動などできません。やはり,所有権を保障することが,自由な経済活動を行うための前提条件なのです。
 だからこそ,法学入門でお話ししたように近代革命が起こったわけですし,フランス人権宣言で「所有は神聖かつ不可侵の権利」なのだと宣言されたわけです。

6 所有権の保障
 近代以降は,所有権は,みだりに侵害することはできないとされました。所有権をとくに侵害しそうなのは唯一の実力を保持している国家権力ですが,国家が勝手に個人の財産を奪っていくようなことはきっぱり否定されました。
 現代日本でも,このことははっきりと規定されています。民法ではなく憲法に規定があります。憲法29条1項に,「財産権は,これを侵してはならない」とあります。所有権でなく「財産権」と書いてありますが,同じものと考えてよいでしょう。そして,憲法は国家権力に対するものですので,憲法29条1項は国家が所有権を侵害してはならないという意味になります。
 このように,日本国憲法においても,国家が所有権を侵すことは許されないと明記されています。

余談:所有権と財産
 ちなみに,英語で所有はpropertyですが,財産も同じくpropertyです。
 また,明治憲法27条1項は「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」と規定していました。この「所有権」は財産権のことだとされていました。
 これらからすると,所有権と財産権の区別はやっぱり気にしなくてよいようです。

余談:所有は人格に関わる
 何かを所有するということは,生活や経済だけでなく,人の人格に関わるという面もあります。人は,何かを所有することで自身の人格を作っているとも言えるのです。
 たとえば,子どものころ集めていたコレクションは,その人にとってはとてもとても大切なものでしょう。もし親が勝手に捨てたりしようものなら,自分自身の一部が失われてしまったかのように深く深く傷つくのではないでしょうか。あるいは,自分の愛車は自分自身と一体化しているような感覚になるのではありませんか。自分の所有している自慢の家,蔵書,おしゃれな服・・・といったもので,自分自身が形作られているという感覚にもなるのではないでしょうか。
 所有は人格に深く関わるからこそ,不可侵のものとして保障されているとも言えます。このあたりは憲法で少し学習します。あるいは,法学を離れますが鷲田清一先生の著書を読んでみてもいいでしょう。

7 刑法による財産の保護
 憲法だけでなく,刑法も財産を守っています。刑法の第36章から第40章までがいわゆる「財産に対する罪」を規定しています。
 財産に対する罪が規定されているということは,他人の財産を不当に侵害する者に対し,国家は刑罰を科すということです。刑罰が科されるということは,そうすることで他人の財産を不当に侵害する者が現れないようにしているということです。
 ちなみに財産犯は刑法の超重要分野ですので,刑法で深く学習することになります。

8 封建時代の土地所有は権利関係が錯綜していた
 近代になって所有権が保障されるようになり国家権力に奪われるようなことはなくなったわけですが,近代になるまでは,他の理由によって土地の取引は困難でした。
 その理由の一つとして,近代より前の時代では,ある土地を誰が所有しているかは,とてもややこしいことになっていたことがあります。
 その土地を実際に耕している農民が所有してると言えそうですが,その土地を支配している領主も所有していたと言えるでしょう。さらに領主の上に上級領主や寺社・教会がいて,その上級領主もまた所有していました。日本で言えば,荘園制をイメージしてもらうといいでしょう。
 このように,近代以前には,一つの土地について,複数の所有権が生じていたのです。

9 土地所有には義務も伴っていた
 また,封建制の下では,上級領主に土地の所有を認めてもらう代わりに,下級領主は兵役や税金といった義務を負担しました。封建的な義務です。日本で言えば御恩と奉公のイメージです。土地を手に入れるということは,その土地に伴う義務も負担するということだったのです。

10 近代以前は土地の取引が困難だった
 このように権利関係が複雑で,しかも義務まで伴っているとなると,その土地を買いたいと思う人があらわれても簡単にはいきません。誰と話をつければいいのかはっきりしませんし,せっかく土地を手に入れたのに負担が伴うというのも困りものです。

11 土地所有権の簡略化
 そこで,近代になってからは,所有が単純明快化されました。一つの土地には一つの所有権しかない,つまり一つの土地を所有しているのは一人しかいないというように,簡略化されたのです。また,封建的な義務とも無関係とされました。所有権はきわめてシンプルとなりました。「近代的所有権」の誕生です。民法で扱う所有権は,この近代的所有権です。
 近代的所有権が誕生したおかげで,土地の売買は極めて容易になり,近代以降は大いに産業が発展することとなったのでした。

12 一つの客体には一つの所有権
 一つの客体の上には一つの所有権しか存在しないという原則を「一物一権主義」と言います。「物権の排他性」とも言います。法学用語ですので覚えておきましょう。
 ここで「物権」という言葉が急に出てきていますが,今の段階ではとりあえず所有権とだいたい同じものと思っていただいたらよいでしょう。

補足:物権と所有権
 少しだけ説明すると,物権は所有権をはじめとするいろいろなものの総称です。所有権以外にどんなものがあるか気になる方は,民法265条以下を見てください。
 しかし,物権の典型は所有権です。所有権以外の物権は,応用的なものというか細かい話になります。ですので,今は気にせず物権≒所有権でいいでしょう。

補足:一物一権主義
 一物一権主義は,一つの客体の上には一つの所有権しか存在しないという意味の他に,一つの物権の客体は一つの物でなければならないという意味で使われることもあります。ややこしいですね。混乱しそうなら今は気にせず流しておきましょう。

13 物権法定主義
 近代的所有権になって単純化されたときに,所有権以外のややこしい権利も全部整理してしまおうということになりました。
 つまり,せっかく一つの土地には一つの所有権しかないと単純化されたのに,所有権以外のさまざまな権利が土地にくっついているようでは結局ややこしいままです。それでは単純化になりません。
 そこで,法律に定めたもの以外の物権は否定され,整理されました。民法に書いてない物権は認められないことになりました。日本民法でも,民法175条に規定されています。これを「物権法定主義」と言います。

14 自由な使えないようだと意味がない
 さて,近代になり,所有が保障され,所有している財産を不当に取り上げられるようなことはなくなりました。また,一物一権主義や物権法定主義により,土地の所有は単純化され,自由な売り買いがしやすくなりました。
 しかし,これらだけでは,まだまだ自由な経済活動をするには不十分です。さらに,自分が所有している財産を,自由に使ったり売ったりすることができなければなりません。自由に使えないようでは,せっかく土地を買っても工場が建てられません。自由に売れないようでは,他人の土地や財産を手に入れることもできません。
 たとえば江戸時代には,田畑永代禁止令というのがあり,田畑の売買が禁止されていました。また,田畑勝手作禁止令というのもあり,自由に耕作して好きなものを植えることさえ許されていませんでした。

15 所有者は自由に使用収益処分できる
 そこで,近代になってからは,人が所有している財産については,その人が意のままにしてよい,自由に使ったり食べたり着たり捨てたり売ったり壊したり改造したりしてよい,ということも保障されました。
 日本民法も民法206条において,「所有者は・・・自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する」と規定しています。
 このように,所有権を有する者には,自己の所有物を自由に使用収益処分をする権利が認められています。

16 使用収益処分とは
 「使用」というのは文字通り使うことです。所有者は,自分の物をどう使おうが自由です。
 「収益」というのは他人に貸して賃料収入を得るといった利益活動をすることを意味します。
 「処分」とは,通常は誰かにあげたり売ったりすることを意味しますが,消費してしまったり壊してしまったりすることも含んでいるとされています。
 このように,所有者は,自分の所有物を好き勝手してよいわけです。このことから,所有権は,物に対する「完全な支配権」であると言われています。

17 所有権の絶対性
 所有権がその物に対する完全な支配権であることを,「所有権の絶対性」と言います。所有権の絶対性には,国家権力や他人といった他者による介入や制限を許さないという意味があります。

18 所有権絶対の原則
 なお,所有権の絶対性は,「所有権絶対の原則」とも言います。明文の規定はありませんが,この原則は,実は民法の三大原則の一つだったりします。
 三大原則の一つなのに民法に規定がないのも不思議な感じがしますが,民法には,重要な原理原則ほど条文に規定されていないという特色があります。旧民法には原理原則や定義規定がたくさんあったんですが,当然のことは規定する必要がないとされて,さくさく削除されてしまったそうです。わかりやすさという点では削除しないほうがよかったように思います。
 ・・・もしかしたら,三大原則のあと二つの原則は何だと思っておられるかもしれませんが,いずれ登場しますので今は聞き流しておきましょう。

19 絶対性には2つの意味がある
 所有権の絶対性にはもう一つ,「所有権は,誰に対しても主張できる」という意味もあります。言い換えると,特定の誰かに対してだけ主張できるというわけではない,ということです。
 誰に対しても主張できることを,世界中の誰に対しても効果があるという意味で「対世効」と言います。逆に,特定の誰かにしか主張できないことを,「対人効」あるいは絶対性の反対で「相対性」と言います。

20 所有権絶対とは言うが所有権にも制約がある
 さて,ここまでで憲法29条や民法206条が登場しました。皆さん,ちゃんと六法で条文を引きましたか。法学の学習において条文に親しむことは大切というか出発点というかお作法ですので,ゆめゆめおろそかにしないようにしましょう。
 これまでちゃんと条文をひいていた方は,すでに気付いているかもしれません。絶対といいながら,実は絶対保障ではないんです。所有権は制約されることがありえるんですね。

21 取り上げられたり自由に使えなかったりする
 憲法29条には3項があり,「私有財産は,正当な補償の下に,これを公共のために用いることができる」と規定されています。所有権は絶対的に保障されているはずなのですが,正当な補償さえあれば,公共のために取り上げられてしまうのです。例えば,ダムを作るのに必要だからという理由で,土地を収用されてしまうようなケースです。
 また,民法206条にも,「法令の制限内において」と書いてあります。いくら自由にできるとはいえ,法令による制限の中でのことだったのです。たとえば,建物を建てようとするときには,自分の土地だから自由に建築できるわけではなく建築基準法等によってたくさんの制限があります。

22 所有権を制約する必要性
 市民革命が起きた当初は,封建制度への反発もあって,所有権は絶対的なものとされました。そうすることで,自由な取引を可能としたのです。
 しかし,所有権の絶対性を貫いていくと,公害の垂れ流しが起きたり,景観が破壊されたりと,困ったことがたくさん起きるようになりました。社会公共の観点からは,いかに所有権といえども,少しは制約したほうがよいのではないかと考えられるようになりました。

23 近代的所有権から現代的所有権へ
 そこで,収用されることもあれば使用が制限されることもあるというように,様々な制約が課されるようになりました。権利だとはいえ完全に自由気ままにできるわけではない,権利にはそもそも社会性があるから制約されてしかるべき,ということです。
 第一次世界大戦後に制定されたワイマール憲法に「所有権は義務を伴う」という規定があるのは,このような考え方を背景にしています。
 所有権は,自由ではあるが一定の制約に服するというわけで,「近代的所有権」から「現代的所有権」へ移行したとされています。

補足:所有権は近代から絶対ではなかった?
 近代は自由だったが現代になってある程度制約されるようになったとうように押さえておくと,近代から現代へという流れで理解しやすいです。とくに,憲法ではこの流れがよく出てきます。
 ところが,そもそもフランス人権宣言においても,「法的に示された公的必要性が明白にそれを要求する場合」であれば,所有権を制約してよいとされていました。星野先生によれば,「所有権の絶対性」は,近代革命の時代のスローガンに過ぎない,当時から,実際上も所有権は絶対ではなく,制約されたり公用徴収されたりしていたとのことです。
 現代では様々に制限されているばかりか,そもそも近代の当時から絶対ではなかったりということですので,「所有権絶対の原則」は民法三大原則の一つではあるのですが,さほどのものではないということのようです。

24 所有権の意義
 所有権が保障されていることと,民法において所有権を有する人は自由に使用収益処分できること,近代において所有権が単純化したことを学習しました。
 最後に,所有権の意義について触れておきます。
 所有権とは,「所有者が自由に客体を使用・収益・処分できる権利」であり,「客体を全面的に支配することができる権利」です。所有権は支配権であるということを押さえておきましょう。