1 前回まで
前回までで,所有権が保障されていること,所有者は所有物を自由に使用収益処分できること,所有できるのは有体物であることを学習しました。また,有体物には不動産と動産があることも学びました。所有権の基礎知識をマスターしたと言えます。
この基礎知識をベースに話はどんどん先へ進んでゆきます。もしあやふやであれば,もどってもう一度目を通しておきましょう。
2 物との関係から人との関係へ
ところで,前回までずっと「人→物」すなわち「人と物の関係」についての話だったということにお気づきですか。
人と物の関係は,たとえばロビンソン・クルーソーが無人島で何かを手に入れた場合にも生じるわけですが,無人島では法は生じません。民法は問題となりません。
民法が問題となるのは,もう一人別の人が登場して,その人との関係が問題となったときです。つまり,「人→人」「人と人の関係」になったときです。
今回からは,所有権が「人→人」において問題となった場合について検討します。
3 もう一人が登場してくる場合
「人→物」の関係にもう一人が登場してくるケースというのはどんな場合でしょうか。
2つ考えられます。
1つめは,「人→物」の円満な関係が,他人によって不当に妨害された場合です。つまり,Xが正当に所有していたのに,悪い奴であるYがなんらかの形でXの自由な使用収益処分を妨害してきたという場合です。
2つめは,ある人が所有している物を,他人が手に入れたいと思った場合です。Xの所有物をYが手に入れたいと思ったとき,Yはどうしたらよいかということです・・・あっ,奪って手に入れるなんてのはダメですよ。奪ってはいけません。それは1つめのほうの話になってしまいます。2つめの問題は,法的に正当に所有権を手に入れるにはどうしたらよいかというものです。
4 所有権が侵害されたとき
まずは,もし所有者が誰かから自由な使用・収益・処分を妨害された場合,所有者はどうしたらよいのか,所有者にはどのような権利が認められるのかについてお話しします。先ほどの1つめのほうです。このテーマをしばらく取り上げます。
すでに学習したように,所有権を有する人には,民法206条によって,自由な使用収益処分が認められています。
そうである以上は,自由な使用収益処分が不当に妨害された場合には,所有者は法的になんらかの対処ができるはずです。そうでなければ,「所有権」が民法によって保護されている意味がまったくなくなってしまいます。民法が自由な使用収益処分を認めている以上,誰かに妨害されたときには,法的に対応できる手段も用意されているはずです。
では,所有者には,どのような手段が認められているのでしょうか?
5 交通事故で自動車が壊れたら
事例問題をもとに考えていきましょう。
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<事例1>
Xが,所有する自動車を運転していたところ,Yが運転する自動車に追突されるという交通事故にあった。幸いにもXにケガはなかったが,Xの自動車は壊れてしまった。XはYにいかなる請求ができるか。
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交通事故のケースです。人がケガをする事故すなわち人身事故ではなく,物が壊れただけの物損事故です。不幸中の幸いです。
6 所有物が壊された場合
自動車も形があるもの,つまり「有体物」ですので,所有権の対象となります。一応,前回学習したので確認しておきます。まあ,有体物に該当することが明らかな場合がほとんどなので,いちいち確認しないのが通常です。
そして,Xが所有する自動車が壊れたということですので,まさに,Xの所有権が侵害されています。壊れたおかげでXは自動車が使えなくなってしまっています。また,物を壊す権限は所有者にしかありませんので,他人が勝手に壊すことは所有権の侵害になります。普通に考えても当たり前ですよね。
7 常識的にどんな請求をしたいか
よって,Xは不当に自動車を壊されてしまっています。つまり,Yに自動車の所有権を侵害されています。このような場合に,XはYにどんな請求ができるのでしょうか?Xにはどんな権利が生じるでしょうか?
まずは,民法を離れて「普通ならXはYにどんなことをして欲しいと思うだろうか?」という観点で考えてみましょう。Xの立場で考えるのは,事例問題を解く際のセオリーです。
このようにXの立場に立って想像してみるわけですので,「想像力」は法学においても大切だと思います。
また,常識的にどうかということを想像するわけですから,「常識」も重要です。民法は当事者間の利害調整をすることを目的としていますので,非常識な結論になってしまっては利害調整とは言えません。
8 XはYにどんな要求をしたいか
では,Xの立場から常識的に考えてみましょう。Xの要求として考えられるのは,どんなことでしょうか?
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Xさん「壊れた自動車を修理してもらいたい」
Xさん「自動車が全損になってしまったから,代わりに新しい自動車がほしい」
Xさん「しばらく代車を使う必要があるから,代車費用も払ってもらわんと」
Xさん「壊れた自動車を移動させるときにレッカー費用もかかったから,これも負担してもらいたい」
Xさん「とっても大切な車で大事にしていたのに,キズモノにされて心がひどく傷ついた。心の傷も癒して欲しい」
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こんなところでしょうか。
常識的と言えるかちょっと微妙なものも混じっている気がしますが,いやいや不当に所有権を侵害されたんだからこれくらいは認めてもらわないと,という考え方もありうるでしょう。この段階では広めにリストアップしましょう。
9 民法709条
常識的な検討を終えたら,その次は法律的な検討です。
交通事故において問題となる民法の条文は,民法709条です。民法709条は,民法における超重要条文の一つです。
この条文は,「不法行為による損害賠償」というタイトルからも推察されるように,「不法行為」について規定しています。そして,この不法行為制度は民法の超重要テーマの一つです。民法709条が超重要条文なんだから当たり前ですけど。
これから不法行為制度の概略をざっと押さえましょう。
補足:所有権と不法行為
所有権と不法行為は,条文もだいぶ離れたところにあるように,民法の体系としてはずいぶん違う位置づけになります。そのため,通常の民法学習では所有権と不法行為とが連続して取り扱われることはあまりないと思います。
しかし,初めて学習するときには,そういう体系がどうとかは気にしないほうが楽じゃないかなあと思います。所有権の侵害→不法行為とつながりますので,ここで不法行為を取り上げることにします。
10 不法行為制度とはどのような制度か
不法行為制度は,条文に書いてあるように,故意か過失によって他人に損害を与えた場合に,その損害を賠償させる制度です。
そして,故意か過失によって他人に損害を与える行為が「不法行為」です。<事例1>のような交通事故も不法行為ですし,殴ってケガをさせたという傷害行為もそうですし,ネットで誹謗中傷して名誉を傷つけたという名誉毀損行為も不法行為です。はたまた,店の看板が落ちてきて当たってケガをしたという場合や,火の不始末で近隣住宅まで火事になってしまったという場合もそうです。いずれも,故意か過失で他人に損害を与えていますよね。
そのような場合に,不法行為によって損害を受けた被害者が,不法行為をした加害者から賠償を受けることで,生じた損害の埋め合わせをする制度です。
11 不法行為制度の特徴
不法行為制度の特徴は,それまで何の関係もなかった人と人との間でも問題となるという点です。交通事故なんかはまさにそうですよね。いや,事故してみたら相手はたまたま知り合いだったということもありえますけど,たいていは知らない人との間で起きると思います。
さておき,不法行為が成立するかどうかにおいては,故意か過失によって他人に損害を与えたかどうかだけが問われるのであり,それまでに二人の間に関係があったかどうかは問われません。これはけっこう重要な特徴ですので,覚えておきましょう。
12 不法行為制度の目的
また,不法行為制度のは,損害賠償が「加害者への罰」として行われるのではなく,「損害の埋め合わせ(填補)」「損害の公平な分担」を目的とします。加害者に罰を与えるのは刑法の役割であり,民法の役割ではないのです。民法はあくまで当事者間の利害調整を目的としていますので,民法の制度の一つである不法行為制度も,経済的な損害の埋め合わせや損害をどう公平に分担するかだけを問題としています。
補足:懲罰的損害賠償論
もちろん,損害を賠償させることで,間接的に加害者に罰を与えているかのように見える場合もあります。
しかし,賠償はあくまで実際に生じた「損害」についてのものであり,生じた損害を超える賠償が認められるわけではありません。賠償義務が課されることで罰を与えているように見えるのも,結果的にそのように見えるというだけで,罰を与えることを目的としているわけではありません。
アメリカでは,悪質な加害者に対しては生じた損害を超える賠償を認めるべきだという「懲罰的損害賠償論」という理論が採用されています。そのため,判決で莫大な賠償金が命じられることがあります。たまにニュースになってますよね。しかし,日本では認められていません。認めたほうがいいかどうかは法解釈とは別の話になりますけど,どうなんでしょうね。
13 不法行為の要件
不法行為の要件は,民法709条の文言を分析すると,以下のようになります。要件は重要なので覚えましょう。
①加害者に故意または過失があること(故意・過失)
②被害者の権利または法律上保護される利益を侵害したこと(違法性)
③損害が発生したこと(損害の発生)
④加害者の行為と損害の発生との間に因果関係があること(因果関係)
厳密には,他の条文も関係してきて要件も少し変わるんですが,今回は基本の民法709条だけを取り上げます。これらの要件を,順にもう少し詳しく検討しましょう。
14 故意
故意というと,日常的な意味では「わざと」ということで,かなり悪い意思という印象がある言葉です。
しかし,民法709条の故意は「知っていて」という程度の意味です。そこまで悪い意思でなくても知っていれば故意ありということです。
実は,民法では,故意のほうはあまり重要な扱いを受けていません。刑法では超重要なんですけど。
15 過失
不法行為ではむしろ,過失のほうが大きな問題になります。
過失さえもなかったという場合,たとえ多大な損害が発生していても不法行為とはならず,加害者は損害賠償責任を負いません。これを「過失責任の原則」と言います。過失責任の原則は,民法の三大原則の一つとされることもあります。
16 「過失責任の原則」と「私的自治の原則」
法学入門の復習になりますが,市民社会においては,人は自由に取引ができます。ということは,人は自分の自由な意思に基づくときにだけ義務を負うのであり,誰かに強制されることはないということでもあります。つまり,意思に反して強制的にお金や財産を取られることはなく,お金を払ったり財産を売ったりするかどうかを自分で自由な意思で決めることができるということです。逆に,お金を払うと自ら約束した場合には,自由な意思で約束したのだから支払わなければなりません。このように,意思に基づく場合のみ義務を負うということを「私的自治の原則」と言います。
この私的自治の原則からすると,何の過失もない場合には損害賠償義務を負わせるのはおかしい,何の意思も働いていないなら賠償義務は発生しないはずだ,という理屈も導かれます。そこで,「過失責任の原則」が生じたとされています。
ただし,これから述べるように,「過失」の内容については従前と現在とで考え方が変わってきており,このような説明は古いものとなってきています。
余談:不法行為の目的と故意過失
先ほどお話ししたように,不法行為制度は損害の埋め合わせと損害の公平な分担を目的としています。
そうすると,損害を埋め合わせる必要がある場合に不法行為は成立するとなるのが筋が通っています。故意も過失もないが損害を与えてしまったような場合にも,損害の埋め合わせが必要な場合はあるんじゃないでしょうか。故意過失が要件となっていることと不法行為の目的とは,いささか不整合な感じもします。
・・・ということを深く悩み始めるときりがないですのであとは研究者の先生に委ねてこのへんにしますけど,民法や他の法律は,故意も過失もなくとも一定の場合に不法行為を認めています。たとえば民法717条や製造物責任法です。「無過失責任」と言います。民法709条の例外です。
17 過失とは結果回避義務違反
過失は日常用語では,不注意とかうっかりしていたといった意味で用いられています。民法でも,かつては日常用語と同様に,ちゃんと注意していなかったという心理状態が過失とされていました。
しかし,現在では,なすべきことをなさなかったという観点で考えられています。「うっかりしていた」という心理状態ではなく,「ある行為をすべき義務があったのにしなかった」という義務違反としてとらえられています。この考え方では,過失は厳密には「損害発生の予見可能性がありながら,これを回避するための必要な措置を講じなかったこと」と定義されます。この定義を覚えておきましょう。
18 過失の客観化
このように,過失を心理状態ではなく義務違反でとらえるようになったことを,「過失の客観化」と言います。うっかりしていたか否かという主観的なことではなく,客観的に義務を尽くして行為していたかどうかで判断するからです。
なぜ過失が客観化されたかというと,研究者が多くの判例を分析したことがきっかけとなりました。たぶん前田達明先生だろうと思います。分析の結果,裁判所は,問題となっている行為をしたときにその行為者がうっかりしていたかどうかで判断しているのではなく,その行為者がなすべきことはどのようなことだったかをまず認定し,そのうえで,行為者はそのなすべきことを果たしていたかどうかで判断しているようだ,ということが判明したのです。
逆に言えば,裁判所は,いくら行為者が意思を緊張させていたとしても,なすべきことをしていなかったら「過失あり」と判断しているということです。まあ,当然と言えば当然のような気もします。
19 過失の客観化を理論的にどう説明するか
先ほどお話ししたように,かつての考え方は,私的自治の原則を理論的な根拠として過失は内心の問題だとしていました。
しかし,現在の考え方は,過失を結果回避義務違反と考えています。そうすると,内心の問題ではありませんので私的自治の原則は理論的根拠として使えなくなってしまいます。過失の理論的根拠をどう考えればよいのでしょうか。つまり,なぜ過失があると不法行為が成立して損害賠償義務が課されるのでしょうか。
これについては,前田達明先生の「信頼責任」という考え方があります。社会の構成員である以上は,行為義務を守って行動するだろうとみんなが信頼しているのに,その信頼を裏切るような行動をとったこと,すなわち行為義務に違反したことが過失であり,裏切った以上は損害を埋め合わせする責任を負うのだ,という考え方です。
ここはこれ以上深入りせずこれくらいでとどめておきますが,不法行為制度や民法全体の基本的な理解に関わってきますので,一度は深く考えてみてください。
20 違法性
次の要件である「被害者の権利または法律上保護される利益を侵害したこと」に進みましょう。この要件を「違法性」と言っています。
実は,民法709条の文言は,平成16年に改正されています。このときの改正は民法を口語化するためのものだったのですが,民法709条については口語化にとどまらず少し文言が変わりました。
改正前は,「他人ノ権利ヲ侵害シタル」となっていました。なので,改正によって「又は」以降が付加されたわけです。
というのも,改正前の文言だと,他人のなんらかの権利を侵害したときしか不法行為にならないことになりそうです。しかし,「○○権」という形であまり広く権利を認めてしてしまうと世の中権利だらけになります。かといってあまり「○○権」を認めないと被害を受けた人の救済ができなくなります。そこで,判例は,権利じゃなくても法律上保護される利益ならいいよと広く解釈しました。この判例の考え方が立法府にも採用されて,平成16年に民法709条の文言も改正されたのです。
21 損害の発生
その次の「損害が発生したこと」ですが,損害とは,加害行為がなかったとした場合の被害者の財産状態と,加害行為によって減少した被害者の財産状態の差額のことだとされています。これを「差額説」と言います。別の考え方もありますが,とりあえずこの差額説を覚えておきましょう。
先ほどの違法性の要件とどう違うのかと疑問に思うかもしれませんけど,権利ないし利益が侵害されても,財産状態は減少せずに済んだという場合には不法行為は成立しないということです。
22 因果関係
最後の要件は,加害者の行為によって損害が発生したと言えることであり,これを「因果関係」と言います。条文上は「よって」という文言が因果関係にあたります。裏返して言えば,因果関係がないような損害についてまでは,加害者は賠償責任を負わないということです。
補足:責任能力があること
さらに,民法712条・713条を見てみましょう。未成年者及び精神障がいの方について,自己の行為の責任を弁識できないときは賠償責任を負わないとされています。これらの条文から,不法行為の成立要件に「責任能力があること」も追加されます。
23 不法行為の要件へのあてはめ
要件の学習が終わったので,<事例1>について,要件に該当するかの検討をしましょう。一般的な要件→具体的な問題文の事実をあてはめ,というのが法律論である以上は必ず守らないといけない決まり事です。
Yは自動車を運転する以上は前方を注意して運転すべき義務があったと言えます。しかし,それを怠って追突しており,義務違反すなわち「過失」があるでしょう。そして,自動車が壊れたためXの自動車所有権という「権利」が「侵害」されていますし,自動車が壊れたので修理費用等の「損害」が「発生」しています。そして,修理費用という損害が発生したのはYの追突のせいですので,「因果関係」も明らかです。
補足:所有権侵害と「違法性」
前回まで,所有権の基礎知識を学習しました。その内容が,不法行為の要件のうちの「違法性」に関連しています。お気づきですか。
つまり,上述したように自動車は有体物であり支配可能であるため,自動車に対する所有権が認められ,その自動車が壊されたことで所有権侵害も認められ,「違法性」の要件を満たすということになります。
たとえば「おまえは火星にある俺の土地の所有権を侵害してるやないか,違法だ!不法行為だ!」という主張は認められません。なぜ認められないかはおわかりですよね。
ただし,権利の侵害はなくとも「法律上保護される利益」の侵害があれば「違法性」の要件を満たすので,所有権侵害がなければ常に不法行為でない,というわけではないことに注意しましょう。逆に所有権侵害があれば不法行為です。
24 不法行為の効果
<事例1>について,不法行為の要件を満たすことは確認できました。では,どのような効果が発生するでしょうか?
不法行為が成立すると,民法709条により加害者は被害者に「損害を賠償する責任」を負います。不法行為の要件をすべて満たすと,その効果として損害賠償請求権が発生するということです。「X→Y」に損害賠償請求権という権利が生ずるのです。
25 金銭賠償の原則
民法709条には「損害を賠償する責任を負う」としか書いてありませんが,Xは具体的に何をYに請求できるでしょうか?最初に常識的に検討したいくつかの要求は,「損害を賠償する責任」に含まれているでしょうか?
この問題は,まずは民法の条文に答えがあります。
民法722条1項が準用する民法417条をみると,「損害賠償は,・・・金銭をもってその額を定める」と規定されています。つまり,損害賠償は金銭で行う,言い換えれば被害者は金銭で償ってもらうことしかできないということです。
<事例1>でも,XはYに対して「壊れた自動車と同じものをよこせ」や「壊れた自動車を修理しろ」といった請求ができるわけではなく,「壊れた自動車を修理するのに必要な修理代つまりお金を支払え」という請求ができる,ということになります。
26 損害の範囲
損害賠償請求ができ,金銭で補償してもらえるとしても,いったいどの範囲の損害を賠償してもらえるでしょうか?あらゆる損害をすべて賠償してもらえるのでしょうか?
この点は議論がありますが,判例は,民法416条を準用し,加害者の不法行為から「通常生じる損害」と限定しています。簡単に言えば「一般的な常識の範囲」ということです。
代車費用やレッカー費用は,<事例1>のような交通事故が起きれば「通常生じる損害」ですし,修理費用も当然「通常生じる損害」です。ただ,自動車の壊れ具合がもし全損なら,その場合の賠償金は自動車の時価相当額となります。
補足:相当因果関係
民法416条を準用して「通常生じる損害」に限定する考え方を,「相当因果関係説」と言います。
不法行為の成立要件のところでも「因果関係」という言葉が出てきてややこしいですが,不法行為が成立するかどうかというレベルの問題と,成立するとしてどこまでが賠償の範囲になるのかというレベルの問題という違いがあります。
27 慰謝料
<事例1>においてXは精神的な苦痛を受けているようですが,これについても賠償してもらえるのでしょうか?
これについても条文があります。民法710条です。
「財産以外の損害に対しても,その賠償をしなければならない」とあります。つまり,民法709条によって賠償責任を負う者は,精神的な苦痛のような財産以外の損害も賠償しなければならないということです。
精神的な苦痛に対する賠償のことを「慰謝料」と言います。
余談:損害説と慰謝料
先ほど,損害とは差額のことだとする差額説を紹介しました。
ところが,この考え方では民法710条が精神的損害について慰謝料を認めていることを説明できないと批判されています。いくら精神的損害を受けたとはいえ,つらい思いをしただけとも言え,とくに財産が減少したわけではありません。
そこで,損害とは一つ一つの事実だという考え方もあります。「損害事実説」と言います。つまり,たとえば自動車が壊れたといった事実そのものが損害だということです。
ただ,この考え方だと,違法性の要件と損害の要件がほとんど同じになってしまいそうです。差額説なら,財産状態の減少があったかなかったかをチェックするという役割が「損害」要件に与えられていたんですけど。
ここも深入りはしません。
28 物損に慰謝料は認められるか?
ただし,物損事故では基本的に慰謝料は認められていません。
事故にあってケガをしたという人身事故の場合には「痛い思いをした」という精神的な苦痛が生じますので慰謝料は認められます。
物損の場合でも,「車の愛着が損なわれて傷ついた」という精神的な苦痛が考えられます。しかし,常識的には,物損の場合は賠償すべきほどの心の傷は生じないと考えられているようで,慰謝料は否定されています。
ですので,<事例1>では慰謝料は無理でしょう。ただ,よっぽどの場合には例外的に裁判所が認めることもあるようです。
補足:民事と刑事
物損事故でなく人身事故だった場合,不法行為に基づく損害賠償請求として「治療費を支払え」「慰謝料を支払え」といった請求ができます。交通事故によってケガをすれば治療費がかかることや,痛い思いをすることは「通常生じる損害」だからです。
さらに,民事だけでなく,刑事も問題になります。過失運転致傷罪という犯罪が成立します。かつては自動車運転過失致傷罪として刑法に規定されていましたが,2014年に「自動車運転死傷行為処罰法」という新しい法律ができて,罪名も変わりました。
金銭賠償をするという責任を「民事責任」,刑罰を科されるという責任を「刑事責任」と言います。すでにお話ししたように,民事が損害を補償するものであるのに対し,刑事は犯罪者の処罰をするものです。
両者は目的が異なり,人身事故の場合のように,同じ事件に双方の責任が問われることがあります。それぞれは独立しており,ごちゃ混ぜになってしまうことはありません。たとえば,警察が犯罪者を捕まえたからといって,警察が被害の賠償金を犯罪者から取り立ててくれるということはありません。「民事責任と刑事責任の峻別」と言います。
29 <事例1>のまとめ
<事例1>では,XはYに対し,不法行為に基づく損害賠償請求として,修理費用,代車費用,レッカー費用の支払を請求することができるという結論になります。
修理そのものや別の自動車を請求することはできません。たとえ精神的苦痛を受けていても,物損ですので慰謝料を請求することも基本的にはできません。
「X→Y」でイメージできるようにしておきましょう。
30 裁判そして強制執行ができる
最後に,「請求できる」ということの意味について触れておきます。
<事例1>では,XはYに対し,民法709条により修理費用等を支払えという請求ができるわけですが,「請求できる」ということの意味は,単に「支払えとYに言える」というだけではありません。
仮にXがYに修理費用10万円を支払えと請求できるとしましょう。このことは,民事訴訟を提起すれば勝訴して「YはXに10万円を支払え」という判決がもらえるということも意味します。そして,判決がもらえるということは,Yが任意の支払いを拒否したとしても,Xは強制執行という手段に打って出て強制的に10万円を取り立てることができるということです。
このように,「法的に請求できる」「法的な権利がある」ということは,裁判を起こして判決を取って強制執行までできるということを意味するのです。
31 今回のまとめ
今回は不法行為制度の特徴や目的,そして要件・効果を確認しました。どれも重要ですが,とくに要件・効果は事例問題を解くには不可欠の知識となりますので,マスターしておきましょう。