民法初伝二日目:何を所有できるのか


1 所有権のイメージ
 今回も所有権の学習です。抽象的な話が続きますけれど,知っておかなければならない基礎知識の部分ですのでしばらくお付き合いください。
 所有権をイメージ化すると,「主体→客体」になります。これは,ある主体がある客体を所有している様子を表しています。この「主体→客体」のうち,「→」の部分が所有権にあたります。「→」の内容は,前回学習したように,自由に使用収益処分できるということになります。
 ですので,検討すべき残されている部分は「主体」と「客体」です。

2 所有する主体。
 所有する側,すなわち「所有権の主体はいったい誰なのか」「誰が所有できるのか」についても大きな問題があります。いわば「権利主体論」です。
 権利主体論についてもいろいろな問題がありますが,ここでは「『人』が所有できる」「『個人』が所有権の主体である」ということにとどめておきます。言い換えると,人以外の存在,たとえば動物は所有権を取得できない,動物は所有権の主体とは認められないということです。

3 所有権の対象(客体)
 今回は,所有される側,すなわち所有権の客体について検討します。「所有権の対象となるのはどのようなものか」「どのようなものなら所有できるのか」ということです。これが今回のテーマになります。

4 物を所有することができる
 いきなり答えを言ってしまいますが,所有できるのは「物」です。所有権について定める最初の条文である民法206条にも「所有物」と書いてありますよね。
 したがって,「主体→客体」は「人→物」を意味していたことになります。実はこの「人→物」は,民法の基本的な考え方の一つです。

余談:「ぶつ」か「もの」か
 ちなみに,私はかつて「物」は「ぶつ」と読むのだ,「者」と区別するためだ,と習いました。だいたい「ぶつ」と読まれているように思います。
 しかし,池田真朗先生は「もの」と読むということです。他にも「もの」と読む方がいらっしゃるようです。たしかに,世間では「もの」と読むのが一般的かと思います。
 法学においても,どうやらどっちでもいいみたいです。「ぶつ」と読むほうが,いかにも法学を勉強しているっぽい雰囲気を出せるかもしれません。

5 「物」とは?
 そうすると,じゃあ「物」とは何なんだという話になります。
 「物」については珍しく民法に定義規定があります。民法85条に,「物」とは「有体物」のことだとはっきり書いてあります。
 「有体物」というのは,物理的に形があるもののことです。有形物と規定してくれたほうが文字通りでわかりやすかったかもしれません。空間の一部を占めて存在する物とも言われます。形さえあればよいので,固体に限らず気体・液体も含みます。

6 なぜ所有権の対象は有体物なのか
 逆に言うと,有体物でないもの,つまり無体物は,所有権の対象から外されているわけです。形がないものは所有できないのです。なぜでしょうか?
 無体物といってもいろいろあります。権利,電気・熱・光といったエネルギー,精神的創造物,さらには愛情といったものまであります。
 星野先生によると,民法が物を有体物に限ったのは権利を排除するためだったそうです。つまり,権利を「所有」するのはおかしい,「権利の所有権」「所有権の所有権」などと言い出すと頭がこんがらがって困るので,有体物に限られたということのようです。

7 無体物でも民法以外で保護されているものがある
 しかし,そうだとすると,権利を所有するのがおかしいというだけのことですので,権利以外のものについては所有権の対象とできたはずです。
 実際に,精神的創造物については所有権の対象とはならないものの,知的財産権の対象となり,特許法や著作権法等で保護されています。
 また,エネルギーについては,有体物の概念を拡張して「物」に含めるべきという考え方もあります。
 ええと,愛情については・・・『あんたの代理人』にあるように,愛情は高級すぎて民法では扱えないのかもしれません。

8 所有権は支配権だから支配できるもののみ対象となる
 今のところをもう少し説明します。
 前回学習したように,所有権は支配権です。ですので,所有権の対象は支配できるものでなければなりません。愛情はきっと支配するものではないから所有できないのでしょうね。
 そして,物理的に支配するとなると,形あるものしか支配できないわけです。したがって,所有権の対象は形あるもの,すなわち有体物とされたのです。

9 観念的に支配するとなると特別のルールが必要となる
 もっとも,エネルギーや精神的創造物のような形のないものでも,観念的にであれば支配することが可能です。
 しかし,そのためには特別な制度やルールを作らないといけません。物理的な支配なら目に見えて明らかです。けれども,観念的な支配となると頭の中だけで起きていることですので,どういう状態であれば支配していると言えるかを,きちんとルール化しないといけません。そこで,先ほど申し上げたように,民法ではなく特許法等の他の法律が特別な制度を定めているわけです。
 まとめると,民法は,形あるものの支配についてのみ定めているということです。

余談:人格形成における所有の対象
 ところで,人は何かを所有することで自身の人格を形成していくのだという考え方からすると,民法とは異なり,所有の対象は「物」にとどまらないことになります。
 たとえば「私は京大卒だ」という場合,その人は京大卒という学歴を「所有」しており,そのような学歴を「所有」することで,一定程度自身の人格を形成しているといえます。職業や財産,家族,家柄,性別,人脈等についても,同じことが言えるでしょう。
 しかし,民法における所有権と同じように,これらを自由に使用収益処分していいかというと,それはちょっと違うように思います。つまり,民法の所有の考え方を広く一般化してしまうと,少しおかしなことになるんじゃないかなということです。
 もちろん,これは民法学習にとってはまったくの余談です。気になる方だけ,たとえば鷲田清一先生の本を読んでみてください。

10 人間は「物」か?
 次に,有体物ならすべて「物」として所有権の客体になるのかについて,少し触れておきます。
 たとえば「人間」も形あるものの一つですので「物」にあたります。そうすると,所有権の客体となり,所有できてしまいそうです。
 しかし,人間を所有することはできません。人間を所有するということは,その人を自由に使用収益処分できるということになってしまい,つまりは奴隷として所有するということになります。人間の自由平等を謳う近代法の下では,奴隷制は完全否定されています。ちなみに憲法18条にも書いてあります。
 このことは,人間は「主体→客体」のうちのあくまで「主体」の側に属するのであり,決して「客体」の側に属するものではない,ということを意味します。

補足:民法の体系からも人間は主体に位置づけられている
 「人→物」についてもここで少し補足しておきます。
 民法の体系からも,「人→物」の考え方がうかがえます。民法は第一編第二章が「人」,第一編第四章が「物」になっています。
 つまり,民法は,まずは主体である「人」があり,次いで客体である「物」がある,という考え方をしています。そして,世界は「人」と「物」によって構成されていると考えています。民法の世界には「人」か「物」しかないのです。人でも物でもない第三の何かというのは認められていません。
 先ほど「人→物」が民法の基本的な考え方の一つと申し上げましたが,それはこういうことだったのです。

補足:人以外はすべて物
 人か物しかないということは,人でないものはすべて物ということです。たとえば動物も物ですし,宇宙人も幽霊も物です。いや,宇宙人や幽霊が実在するとしてですが・・・あっ,幽霊は無体物かもしれません。幽霊には首を絞めてくるようなやつがいますが,あれは有体物なんでしょうか。
 ・・・ですので,さきほど少しお話ししたように,動物は主体ではなく,所有されうる客体になります。どんなに愛くるしく可愛らしいペットでも主体にはなれません。したがって,たとえばペットに遺産を相続させるということは,日本の民法では不可能です。

11 人間の身体は「物」?
 人間は所有できないとしても,人間の身体はどうでしょうか?身体を所有することはできるでしょうか?これは難問です。
 単純に考えると,私たちは,自分自身の身体を所有しているように思えます。所有しているからこそ自分の身体を自由に使っているというのが素直な感覚ではないかと思います。
 しかし,もう少し考えてみましょう。自分の身体を所有しているとなると,「私(主体)→私の身体(客体)」ということになります。それでよいのでしょうか。主体である「私」から「私の身体」が抜け落ちてしまっています。その分,「私」が減少してしまっています。
 自分の身体はかけがえのないものであり,むしろ主体の側に入っていないと困るのではないでしょうか。逆に,「私」を減少させたいと願う人は,「私(主体)→私の身体(客体)」と考えているのかもしれません。

12 身体は物ではないが
 民法では,身体は「物」ではないと考えられています。民法を起草した富井先生は「権利主体の組成分として法律上物に非すと見るを至当とす」と述べており,要するに身体は主体の側に入るべきものとされています。
 他方で,身体から切り離された部分は「物」だそうです。しかし,切り離された途端になぜ物になるのか,論理的に突き詰めて考えていくとよくわからなくなります。大村先生も『民法読解 総則編』において,「理由づけはやや難しい」とされています。
 死体や臓器も「物」と考えられています。ただし,「物」にあたるとしても,これらを自由に処分できるかはまた別の問題です。
 まあ,このあたりは聞き流してもらっても大丈夫です。

補足:臓器の処分
 臓器が物にあたるのなら,自由に使用収益処分できるんじゃないのかと疑問に思っている方もいるかもしれません。
 しかし,前回の内容を思い出してください。前回,所有権は絶対無制約ではないという話がありましたよね。したがって,物にあたり誰かが所有しているとしても,必ず所有者が自由に処分できるというわけでもないのです。
 臓器については,倫理的な問題があるので自由な処分はできないこととなっています。民法ではなく臓器の移植に関する法律によって規律されています。
 なお,これから民法を学習するうえでは,所有者が自由に使用収益処分できないという例外的な事態が問題となることはあまりありませんので,これもそんなに気にしなくていいです。

13 日月星辰は所有できるか
 では,荒唐無稽なようですが,太陽や月や星は所有することができるでしょうか?
 そもそも太陽や木星は有体物でしょうか。木星は主にガスでできていると聞きましたので,気体として有体物になりそうです。太陽はどうなんでしょうね,やっぱりガスなんでしょうか。月や火星は固体でできているので間違いなく有体物にあたり,誰かが所有できそうです。
 しかし,所有権は支配権ですので,現実的に支配が不可能なものは所有権の対象とならないとされています。これから科学技術が発達して月や火星を支配できるようになれば別でしょうけれど,今のところは,日月星辰は所有できないようです。

14 一物一権主義
 さて,前回,一物一権主義について,一つの物権の客体は,一つの物でなければならないという意味もあるという補足をしました。思い出してください。その話がここで再び登場します。
 つまり,所有権は,一つの物ごとに成立するとされています。多数の物の上に一つの所有権が成立するわけではありません。
 また,一つの物の一部に成立するわけでもありません。たとえば建物は柱や壁や扉や窓などなどで成り立っていますが,建物として一つと考えます。柱や壁ごとにそれぞれ所有権が成立するというわけではなく,建物という単位で所有権が成立します。
 なお,前者を単一性,後者を独立性と言います。

補足:取引における社会通念で考える
 一つの物ごとに所有権が成立するという考え方からすると,建物についても柱,壁,扉,窓などなどごとに成立するんじゃないかと思うかもしれません。
 けれど,まあそこは,社会常識,一般社会通念で判断します。民法は取引について常識的な利害調整を行うための法律ですので,一つの物かどうかも取引における常識で決めるということです。一物一権主義と言いながら,結局は常識で判断することになりますで,あいまいと言えばあいまいです。
 建物については,建物で一つの単位と考えるのが取引における常識ですから,建物ごとで所有権も考えることになります。

補足:ここまでのフローチャート
 今までのところを簡単にフローチャートにしてみましょう。ここれまでの知識の整理になると思います。あまり使うことはないかもしれませんけど。

 民法の所有権の対象となるか?
    ↓
 「有体物」(85条)か? -no→ 所有権の対象とならない
    ↓yes
 例外的に所有できない場合にあたらないか? → 所有権の対象とならない
    ↓あたらない
 所有者は自由に使用収益処分できる(206条)
(ただし,法令によって自由な使用収益処分が制限されることはある)

15 動産と不動産
 民法は,有体物をさらに「動産」と「不動産」に区別しています。動産か不動産かで民法における扱いが大きく変わります。ですのでこの区別は重要です。
 「動産」も「不動産」も日常用語ですから,イメージするのは難しくないと思います。文字通り,動く物と動かない物です。
 しかし,民法86条の1項と2項が規定してくれていますので,民法を学習する以上はこれをそのまま覚えましょう。「土地及びその定着物」が「不動産」で,それ以外は全部「動産」です。
 「土地」はそのまま土地のことですので説明は不要ですよね。「土地の定着物」というのは,基本的には建物のことをイメージしておけばいいでしょう。建物以外の定着物としては,土地に生えている植物などがあります。

補足:土地と建物
 さらに,日本民法は,不動産である「土地」と「建物」を別の物として扱っています。直接それを規定した条文はないんですが,たとえば民法370条が,土地の抵当権の効力が及ぶのは建物を除いた土地上の一切としていることから,土地と建物とを別の物として扱っていることがうかがわれます。「抵当権」という言葉が出てきましたが,難しいので今は気にしなくていいです。
 土地と建物が別ということは,土地の所有者と建物の所有者が異なることもあるということです。
 土地と建物を別に扱う制度は,日本にいると普通の感じがしますが,世界的には珍しいです。たとえばドイツでは,不動産とは土地のことを意味し,建物は土地にくっついているだけという扱いになっています。そのため,建物を土地とは別に所有することは基本的にはできません。
 なぜ日本民法が土地と建物とを別の物としたのかというと,古来からの慣習でそうなっているという理由と,登記法において別の物として扱われているという理由が挙げられています。

16 なぜ動産と不動産を区別するのか
 動産と不動産とで,具体的にどう取り扱いが違うかについては,これからおいおい触れていきます。
 今回は,動産と不動産とで取り扱いが違う理由を押さえておきましょう。
 不動産とくに土地は,家を建てたり農地にしたり工場を建てたりする場ということで,非常に重要な特別な価値のある財産とされています。中には価値のない原野やむしろ負担になるような土地もありますけれど,通常は,不動産は価値が高いものとされています。他方で,動産にも,たとえばストラディバリウスや北斎の作品のようなすごい価値のあるものも中にはありますが,大半は,たとえば缶コーヒーやノートといった低額のものです。
 また,不動産は同じ物は一つとしてないのに対し,たいていの動産は同じ物がたくさんあり,代わりがきくことが多いです。たとえば動産でもピカソの絵画なんかは一つしかありませんが,プレミアムモルツ缶ビールなんかは大量にあります。

補足:権利関係を一般に示すことができるかという違いがある
 一つだけ,違いを指摘しておきます。
 不動産は文字通り動かないものであり有限のものです。ですので,誰が不動産を所有しているかを,登記制度で一般に公示することができます。日本中のあらゆる不動産について登記が整備されており,誰もが登記を閲覧することで所有者を確認することができるようになっています。
 他方で,動産はものすごくたくさんありますので,すべての動産を登記することはまったく不可能です。

補足:登記制度
 登記制度はご存知ですか?
 不動産を売ったり買ったりした経験があれば登記を見たことがおありでしょうけれど,そんなもの見たこともないという方もいるかもしれません。私も学習していたころは,今ひとつピンときませんでした。
 登記制度は,全国にある法務局が管轄しています。法務局は法務省の下にある組織ですので,登記制度は国が管理しているわけです。
 登記は,かつては登記簿という紙の帳簿で記録されていたので,閲覧したければその不動産を管轄する法務局まで行くか,登記簿謄本を郵送してもらう必要がありました。現在は登記はコンピュータ管理されており,全国どこの法務局でも,登記事項証明書を取得することができます。
 なお,登記には不動産登記だけでなく,法人登記や成年後見登記もあります。

補足:不動産登記
 不動産登記の登記事項証明書には,不動産の所在や面積,所有者の住所・氏名等が記載されています。
 最寄りの法務局に行って交付申請書に不動産の所在を記入し,手数料を支払えば,登記事項証明書が手に入ります。一般公開されているものですので,誰でも,どんな不動産でも取得できます。よって,その不動産はいったい誰が所有しているかを誰もがチェックできるのです。
 登記のイメージをつかむために,自宅等の登記をとってみてもいいでしょう。
 なお,この不動産登記に関しては,民法における最重要論点の一つがあるのですが,また少し後でお話しします。

17 まとめ
 前回と今回とで,誰が所有できるか,何を所有できるか,所有できると法的にどのようなことが認められるのかの3つについて学習しました。
 所有できる,すなわち所有権が認められると,所有者は所有物を自由に使用収益処分できます。しかし,所有できる主体は人だけですし,所有できる客体は有体物のみでした。よって,人でなかったり,有体物でなかったりすると,所有権は認められず,つまり自由な使用収益処分が法的には認められないこととなります。
 最後に、不動産と動産について,なぜ取り扱いが異なるのかを学習しました。これからは主に不動産について取り上げることとなります。