六日目:続・法学とはどのような学問か

1 前回の流れからすると
 今回も「法学とは何ぞや」という話です。続編です。
 前回の話から,「要件→効果」をマスターする必要があるということが判明しました。そうすると,これからはそれぞれの法について「要件→効果」を第1条から順番にマスターしていけばよい,ということになりそうです。
 ところが,そうはならないんです。
 前回の話は法学を学ぶ「第一」であり,まだ「第二」があるのです。なかなか本論が始まりませんので、もしかしたら早く本論に入れよとだんだんイライラしてきておられるかもしれません。しかしここをきちんと押さえておかないと,いったい何を目指して学習しているのかさっぱりわからず迷走することになります。もう少しおつきあい下さい。

2 要件→効果をたくさん覚えればよい?
 法学学習の目標は,「具体的な事件を法的に解決できるようになること」でしたよね。そのためには,「要件→効果」の構造になっている法を覚えることが必要です。大量に覚えないといけません。
 しかし,「要件→効果」をたくさん覚えさえすれば,それで事件を法的に解決できるというものでもないのです。「事件を法的に解決できる」ようになるためには,他にも必要な能力があるのです。

3 法的解決のために必要な能力
 いったい何が必要なのでしょうか。
 具体的な事件を法的に解決するためにはどのような能力が必要となるのか,という観点で考えてみましょう。

4 正しい事実認定が前提
 まずは,その事件における事実関係を正しく把握する必要があります。
 たとえば,「婚姻できるか」の事例問題において,2人が本当は20歳だったにもかかわらず,誤っていずれも15歳だったということにされていたのであれば,「婚姻できない」という結論も誤りです。
 したがって,法的三段論法の前提として,事実を正しく認定していることが必要です。

5 事実認定も難しい
 その人が何歳なのかは戸籍等の証明書で判明することですので,事実の正しい認定はさほど難しいことではありません。
 しかし,例えば殺人事件について,怪しい容疑者が「殺してない」と言い張った場合はどうでしょうか。どのようにして犯人と認定するかは難しい問題です。あるいは,容疑者が逆に「私がやりました」とあっさり白状したとしても,はたしてそれだけで犯人であると認定してしまったいいのかといった問題が生じます。
 このように,事実をどのように正しく認定するのかは難しい問題です。

6 事実認定は余所で扱う
 事実認定については,どのように認定するのかという問題だけでなく,そもそもどの事実を認定しなければならないのかや,誰が認定するのかといった問題もあります。
 このあたりは,あらためて民事訴訟法・刑事訴訟法で学習するところです。民事訴訟法・刑事訴訟法で,どのようにして事実を認定するのかのルールを学びます。そのうえで,具体的な事実認定について,ロースクール等で学ぶことになります。
 ということですので,事実認定は民事訴訟法・刑事訴訟法を学んだ後に学習することになりますから,上級編と言ってもいいでしょう。
 したがって,法学を最初に学ぶ段階では,事実認定はいずれまた学習するということで脇に置いておくことになります。

7 正しい事実認定として扱う
 事例問題を解くにあたっては,問題文に書いてあることはすべて正しい事実であり,所与の前提と受け取ってよい,いやむしろ受け取らないと誤りということになります。「XがYを殺した」と書いてあったら,「XがYを殺したかどうかなんて,ほんまかどうかわからへんやん」などとひねくれたことを考える必要はありません。考えてはいけません。「XがYを殺した」の部分は正しく,それを前提としてどのように法的に解決するかが問われているのです。

8 どの法規範の問題なのか
 正しい事実認定を前提として,次に,どの法規範をつかえばよいのかがわからないと,法的三段論法にたどりつきません。その事例問題を解決するのに必要となる法規範はいったいどの法規範なのか,何法の第何条に書いてあるのかがわからないと,法的三段論法を用いようがありません。
 たとえば,前回出てきた「婚姻できるか」という事例問題1については,年齢的に婚姻できるかどうかは民法731条に規定があったはずだということで,民法731条の問題なのだと気づかないと解けません。
 このように,問題となる法規範を見つける能力,どの法規範の問題なのかを判断することができる能力が必要です。

9 条文丸暗記までは不要
 有名な条文については第何条かまで覚えて欲しいところです。しかし,そうでもない条文については,だいたいどのあたりに規定があったかさえ覚えておけば,六法をひいて見つけられるでしょうから十分でしょう。
 また,条文を一字一句丸暗記する必要まではありません。六法をひけさえすれば十分でしょう。

10 さらに必要な能力がある
 正しい事実認定の下で,解決のために必要な法規範を見つけることができとして,最後にもう一つ,必要な能力が残っています。実は,法学においてはこれがもっとも重要な能力とされています。

11 法規範とは
 ところで,ここまでさりげなく「法規範」という言葉が出てきていましたが,お気づきですか。
 「法律」「条文」という言葉と区別して「法規範」という言葉を使っていました。両者は別のものなのです。
 末川編『法学入門』によれば,「法規が解釈によって操作され,それを通じて引きだされたものが,法であるということができよう」とあります。「法規」というのは法律の条文のことです。「法」という言葉は多義的ですが,ここでは「法規範」という意味で使われています。私も「法」=「法規範」という意味で使うことがあります。
 このように,「法規範」というのは,「法律の条文」を解釈することによって明確になったルール,という意味です。この「法規範」こそが,法的三段論法の大前提となるものなのです。

12 法律の条文も前提
 われわれがこれからマスターしないといけないのは,法的三段論法によって事例問題を解くことですので,法的三段論法の大前提となる「法規範」を学習しないといけません。
 しかし,われわれに与えられているのは「法律の条文」です。
 ちなみに,事実認定と同じく,「法律の条文」も動かせない前提です。というのも,法律を作ったり変えたりするのは「立法」であり,憲法41条により国会の権限とされています。法律家は「事件を法によって解決する」ことを目的としており,あくまで国会が作った「法」にのっとった解決が求められます。ですので,法律の条文を勝手に変更するのは法学学習においては誤りです。国会の権限を侵してはいけません。

13 条文解釈能力が必要
 さて,「法規範」を手に入れるためには,与えられている「法律の条文」を解釈する必要があります。したがって,条文の解釈ができる能力が必要ということになります。この条文解釈能力こそが,法学においてもっとも重要な能力とされているのです。

14 なぜ解釈が必要なのか?
 そもそも,なぜ「解釈」が必要なのでしょうか?なぜ「法規範」=「法律の条文」ではないのでしょうか?
 たしかに,「婚姻できるか」の事例問題1に出てきた民法731条は,きわめて明確な規定でした。ほとんど解釈の余地はありません。このような場合には「法規範」=「法律の条文」と言っていいでしょう。
 しかし,たとえば刑法199条はいかがでしょうか。「他人を殺した」というのは明確なように見えて,いろいろと考えていくと悩ましいところがあります。
 既に脳死状態であったAさんに銃を撃ち込んだという場合はどうでしょうか?このような場合も「他人を殺した」と言っていいのでしょうか?あるいは,脳死したらもう「人」ではなくなるのでしょうか?
 刑法199条には「他人を殺した」としか書いてありませんし,他の条文をみてもわかりませんので,脳死状態の人も「人」に該当するのか否かははっきりしないのです。よって,条文に解釈を施して「法規範」を導く必要があるのです。

15 新たに立法すればよい?
 もちろん,新たな条文を作り「人には脳死状態の者を含む」あるいは「含まない」と規定して,はっきりさせればよいではないか,そうすれば解釈するまでもないのではないか,というのも一理あります。
 ですが,現実世界において,どんな事件が起きるのか,まったく予測がつきません。法律を作る際にはとても予測できなかった事件が起こることもあります。現実世界は複雑怪奇,千変万化です。また,社会はどんどん変化しますし,科学技術も進歩しています。そのたびに,いちいち条文を作っていてはとても追いつきません。
 そもそも法律は,現実の事件より先に,「こういう事件がきっと起きるだろう,その場合にはこのように解決しよう」と想定してあらかじめ作られているものです。そして,「要件→効果」の構造をとっており,「こういう場合にはこうなる」というように一般的な形で規定されているものでもあります。
 このように,法律は,あらかじめ,一般的な形で規定されるいう宿命を背負っています。そのため,どうしても限界があるのです。すべてを条文で規定しつくしておくことは現実問題として不可能であり,解釈によって補うことが必要不可欠なのです。

16 条文解釈が必要となる場合
 「解釈」というと,先ほどの殺人罪の「人」のように,条文の文言が多義的であったりあいまいであったりする場合に,文言の意味をはっきりさせるケースが典型です。しかし,解釈が必要となる場合は他にもあります。
 ①当然すぎるという理由で,あえて条文に書かれていないルールがあるので,解釈でそのルールを明確化する
 ②条文をそのまま適用すると,あまりにおかしな結論になるから解釈で修正する
 ③ある条文と別の条文とが,矛盾しているように読めるので,解釈で矛盾を解消する
 ④ある条文と別の条文の,どちらも適用できるように読めるので,どちらを適用するのか解釈ではっきりさせる
 などなどです。これら以外にももっといろいろあるでしょう。
 これらの場合に,解釈を行うことで,ルールを明確化することになります。これが「条文解釈」「法解釈」です。

17 法学とは法解釈学のこと
 法学は,基本的には解釈を行って「法規範」を引き出す学問のことを指します。「法解釈学」と言います。
 広く法学という場
合には,法哲学や法社会学,法制史など様々な学問を含むのですが,普通に法学と言えばそれは「法解釈学」のことです。伝統的に,どうやらギリシャ時代のころから,「法学」=「法解釈学」とされているようです。現代でもそうです。

18 「法規範」はどこにある?
 法学がどのような学問かイメージがつかめてきましたか?
 この次は,「では法解釈とはどういうふうに行うものなのか」というテーマに移ることになります。
 しかし,その前に,「法律の条文を解釈して導き出された法規範」はどこに存在しているのか,というお話をしておきます。われわれが学習すべき「法規範」はいったいどこにあるのでしょうか?

19 「法規範」は体系書に記載されているのか?
 まず考えられるのは,本屋の法学コーナーに並んでいる法学の教科書です。教科書の中でもとくに重厚なものは,体系書と呼ばれています。
 この体系書は,著者である法学者が,自らの強い信念と深い研究に基づいて「法律の条文を解釈して導き出した法規範」を,実務の法律家が参照できるように叙述したものです。ということは,体系書にこそ「法規範」が記載されていると言うこともできます。
 ちなみにドイツでは,法学者の体系書がそのまま「法規範」として利用されていた時代もあるそうです。そこまでいかなくとも,例えば判決文に法学者の見解が採用されることは,現代日本でもあります。裁判所に大きな影響を与えるわけですから,法学者が大変な権威を持っているのも当然です。
 しかし,体系書は,あくまで,とある一人の人間が書いたものにすぎません。大変な権威ではありますが,絶対的な権威ではありません。ある法学者が「自分の解釈こそが正しい,これこそが法だ」と主張している一つの意見にすぎないのです。

20 判決に「法規範」は記載されているか?
 まず考えられるのは,裁判所が出した判決です。
 『判例百選』等の判例集をぱらぱらと眺めていただくとわかりますけど,判決文にも法律の解釈が記載されていますよね。
 判決は,裁判所という公的な機関が書いたものですので,とある一人の人間が書いた体系書とは異なり,公的な権威があります。しかも,他の公的な機関とは異なり,裁判所は法律を解釈適用する権限を与えられた機関ですから,他の公的な機関が行った解釈よりも裁判所の解釈が優越します。
 そうすると,判決にも,「法規範」が記載されていると言えます。

21 判決には限界がある
 しかし,裁判所は,訴訟が提起されて初めて動き出す機関です。誰かが訴訟を起こさないと裁判所は動きませんし,判決を出すこともありません。
 のみならず,裁判所は,その法律の条文を解釈しないと結論が出せないという場合にだけ解釈を行います。どうしても解釈しなければならないという必要性がないと,裁判所は解釈を示してくれないのです。
 したがって,あらゆる条文について裁判所が解釈を示してくれているわけではありません。

22 判例は法に準ずる
 また,日本は三審制をとっており,裁判所の頂点には最高裁判所があります。一審で負けても二審があり,さらには三審目で最高裁にまでもっていって判断を仰ぐことが可能です。そうすることで,日本全国の解釈を,最高裁が統一することができるわけです。
 基本的にはこの最高裁での判決が先例となります。裁判所の頂点が出した判決ですから判決の中でも別格です。これがいわゆる「判例」です。
 この「判例」は,先例になりますので,その後の裁判に大きな影響を与えることになります。したがって,「法」に準ずると言っていいと思います。基本的にというのは,最高裁以外の判決は判例にならないのかといった難しい問題があるからですが,ここでは省略します。
 ともあれ,「判例」は法に準ずるもので非常に重要ですので,法律の解釈において判例があるならこれを検討することが最優先です。これを怠ってはいけません。

23 判例は「法規範」ではないのか?
 他方で,「判例」は,絶対的なものではありません。判例は変更される可能性があるのです。例えば時代の変化というような事情により,新しく解釈し直すべきだというような場合です。
 その他,判決は事件ごとに下されるものですから,ある事件についての判断が,別の事件についても同様に適用されるのかという問題もあります。判決文が明確でないと,その判決文をさらに解釈する必要も生じます。ある判例と別の判例とが矛盾しているように読めてしまうということもあります。
 判例にはこのような性質があり,法に準ずるものではあるものの,法規範そのものとは言えない面があります。

24 結局,「法」はどこに?
 さて,「法律の条文」そのものは「法規範」ではないし,体系書は権威あるとはいえ一人の意見にすぎない,裁判所の判決は必ずしもすべての解釈を示しているわけではない,となると,いったい「法規範」はどこにあるのでしょうか?
 実は,どこにもないのです。
 あると言えばあるのですが,それは,現実の法律家たちがなんとなく頭の中で考えているものの最大公約数という形としてだと言っていいでしょう。いわゆる「倫理」「社会常識」といったものが,皆さんの頭の中にぼんやりと存在するのと同じです。これらはルールブックに記載されているわけではありませんよね。

25 ではどうやって学ぶのか?
 そうすると,「目に見えないものをどうやって学べばいいのか」という疑問が湧いてきますよね。
 先ほど申し上げたように「最大公約数」という形では存在するのです。これはつまり,どんな法律家でも一致する部分ということです。法律家ごとにみんながまったくばらばらの解釈をしているようでは,話がまったくかみ合いませんよね。だいたいの部分では一致しており,これが暗黙のルールのようになっていると言えます。
 まずはこの「最大公約数」を学びましょう。ここをきちんと学習して理解していないようでは,話になりません。

26 どんな体系書にも書いてある
 この「最大公約数」は,どんな学説でも共通している部分ですし,判例の考え方の基本になっている部分です。
 共通部分ですので,どんな体系書にも記載されています。体系書である以上,そういう共通部分をまったく無視して学者個人の見解のみを書き連ねるということはないはずです。
 したがって,代表的な体系書や教科書をもとに,共通部分がどこかということを意識して学習していけばよいということになります。

余談:
 最大公約数や共通部分と申し上げていますけれど,例えば刑法などでは根本的なところから異なっているため,まったく違う体系になっていて共通部分がないということもあります。刑法学の大きな特徴です。詳しくはまた刑法でお話しします。

27 体系書は難解
 ただ,第一日目に既にお話ししたように,体系書は非常に難しいのです。初めて学習する方では,最後まで読み通すことさえ困難だろうと思います。読んでもおそらくちんぷんかんぷんです。
 ですので,共通部分がどうという以前に,そもそも何が書いてあるのかがさっぱりわからない可能性が高いのです。

28 道場で学ぼう
 そこで,独力で体系書を読むことができるようになるために,まずはこの道場で,最低限のところを一緒に学習していきましょう。なぜこんな道場があるのかというと,そういうわけだったんですね。
 したがって,独力で体系書が読める,独学できるという方にとってはこんな道場は不必要ですから,各自で学習を進めていきましょう。

29 周辺は食い違っている
 ところで,現実の法律家たちは,根本的なところでは共通しているのですが,周辺的なところになるにつれ意見が異なっていきます。「最大公約数」を学べばよいのだとしても,周辺的なところではばらばらだとすると,やはり学習に不安が生じているかもしれません。法律家によって意見が違うようなものをどうやって学習するのか,正解がないようでは困るという不安です。

30 法学に正解はない
 ですが,法学も学問ですから,学者によって見解が異なることはむしろ当然と言えます。他の学問でも事情は同様だと思います。だからといって学習できないわけではありませんよね。
 さらに,実は「法学に正解はない」と言われています。周辺的なところについてはどの解釈が正解ということはないのです。どんな解釈であっても間違いではありません。原理上は。

31 どんな解釈でも正解なのか?
 むろん,その解釈によって導かれる結論が突拍子もないようなものではないか,結論があまりに不合理ではないか,そういう解釈はちょっと無理ではないか,他の法律や法解釈と整合しないのではないかといったところは問われます。いわゆる「結論の妥当性」や「解釈の論理性」といった部分です。
 つまり,原理的には「どのような解釈もありうる」ので「正解はない」と言っていいのですけど,結論の妥当性や解釈の論理性に照らして「優れた解釈」や「劣った解釈」というものはありえます。「説得力のある解釈」と言ってもいいでしょう。結論の妥当性と解釈の論理性に配慮してあるもののみが,優れた解釈として評価されるのです。そうでない解釈は説得力がなく,受け入れられることはありません。
 このあたり,抽象的でわかりにくいかもしれません。実際に法を学習してから,あらためて振り返ってもらえたらと思います。

32 オリジナルの解釈をする必要はない
 最後に少し付け足しておきます。
 法解釈能力が必要だと申し上げましたが,なにも皆さん各自で一から法解釈を行う必要はありません。少なくとも,法学を学習する段階では,オリジナルの法解釈を生み出す必要はないのです。
 それぞれの法について,すでに判例なり学者なりが法解釈を行っております。既存の法解釈を学習すれば十分です。その際には,法解釈の結論部分だけでなく,なぜそのような解釈をしたのかという部分にも目を配りましょう。判例や学者が「結論の妥当性」「解釈の論理性」にどのように配慮しているのかがわかるはずです。これらの部分を理解せず,単に結論を覚えただけでは,その法解釈を理解したとは言えません。

33 応用を問われる可能性はある
 法学者を目指す方なら,既存の法解釈を学習したうえでさらにその上を目指すことになりますから,オリジナルの解釈をすることになるでしょう。
 また,法律家として現実の事件に向き合っていると,いろんな法律と遭遇することになり,解釈の必要があるのに判例も学説もないという事態が生じることもあります。そのような場合には,自ら法解釈を行う必要があります。
 試験でも,応用を問われることはあります。例えば,既存の法解釈は典型的な事例を念頭に置いていますけれど,典型的でない事例が出題され,既存の法解釈そのままではうまくいかないという問題です。既存の法解釈を踏まえ,その事例についてどう考えるのかが問われていると言えます。結局,既存の法解釈を理解していることが大前提になっています。

 次回は,具体的な条文解釈の方法について,ざっとお話ししましょう。


六日目:続・法学とはどのような学問か