『法律における理窟と人情』我妻榮著

 帯に我妻先生は「民法学の泰斗」とありますが,これは誇張表現ではなく,現在でも「民法と言えば我妻」という感じです。我妻先生が現在の民法理論を作り上げたと言えます。民法を学ぶ人なら我妻先生を知らない人はいないはずです。
 我妻先生の『民法講義』は実務家が民法で困ったらまずひもとく基本文献です。実務には圧倒的な影響力があります。ただ,およそ50年くらい前に書かれたものですのでさすがに古くなっており,現在の学生はあまり読んでいないようです。

 我妻先生は『民法講義』以外にもたくさんの著作を遺しておられますが,この『法律における理窟と人情』は,我妻先生の一般市民向け講演2つを元にしたものです。タイトルとなっている「法律学における理窟と人情」と「家庭生活の民主化」という2つの講演です。「法律学における理窟と人情」のほうが短く約50ページ,「家庭生活の民主化」が約130ページです。しかし,短いほうの「法律家における理窟と人情」のほうがメインのように思います。

 我妻先生は,法律家はよく杓子定規と言われるがそれはその通りである,でも仕方がないんだと言います。杓子定規こそが「法律の生命」だからです。杓子定規に決めるからこそ法律は誰にでも平等に適用されるのであり,融通がきくようでは力の強い人やお金持ちや権力者に有利になってしまうことが必然です。

 そうは言っても,法律家も人の子ですし,杓子定規ではどうにもうまくいかないときには,なんとかしたいという気持ちにもなります。杓子定規のことを「一般的確実性」と言いますが,人情に適したそれぞれの場合の事情に応じた妥当な結論にすることを「具体的妥当性」と言います。そこで,法律家は,一般的確実性と具体的妥当性をいかに調和させるかに悩み苦しむことになるのです。
 とはいえ,一般的確実性と具体的妥当性とはおよそ相反する要請です。両者を調和させることは可能なのでしょうか?可能だとしてどのように調和させたらよいのでしょうか?・・・気になる方は是非,本書をお読みください。

 付け足しですが,考えてみれば,そもそも具体的妥当性といっても,どのような結論が妥当なのか悩ましいことがあります。あちらを立てればこちらが立たずです。むしろ杓子定規なままで問題ないときもあります。どのあたりが落とし所なのかで頭を抱えることもあるでしょう。世間のことをよく知ってないとそういう判断は難しいでしょうね。「法学は大人の学問」と言われる所以です。

 一般市民向けの講演ですのでさらさらと読めますが,内容は法学学習者にとっても非常に有益です。法学学習の前に読んでおくとよいでしょう。名著ですので本棚に飾っておくのもよいです。