一日目:民法とはどのような法律か


1 民法の学習を始めよう
 民法学はフランスでは「法学の女王」と言われているそうです。法学の中でももっとも法学らしい法学だからかもしれません。そういう意味では,「法学入門」の後に一番最初に取り組むべきは民法こそがふさわしいとも言えます。もちろん,国の最高法規たる憲法も大切ですけど。
 星野英一先生によれば,憲法は国家のあり方(コンスティテューション)を根本的に規律し,民法は社会(市民社会)のあり方を根本的規律しているとみることもできるとのことです。つまり,憲法と民法とは車の両輪のようなイメージになります。理論上は最高法規である憲法のほうが民法よりも上位なんですが,内容の重要性では「憲法と民法はタメだ」とも言えそうです。
 そういうわけで,民法はとても重要な法律です。
 さあ,民法の学習を始めましょう。

2 民法は分量が多い
 まずは六法をひらいてみましょう。
 民法の最後の条文を見ると第1044条です。民法の条文は1000条を超えているんですね。1000条を超える法律はおそらく民法だけだと思います。
 条文が非常に多いということは学習範囲も膨大だということですので,民法の学習はとても大変そうです。
 しかし,いかに分量が多くとも,基本からこつこつと積み上げていけばいずれ必ずマスターできます。さすがに「民法なんて大したことがない」「民法なんて簡単だ」などとは決して申しませんけれど,こつこつ勉強するためのお手伝いはできるかと思います。いっしょに頑張りましょう。このお話しをするために,私もけっこう勉強しています。

余談:ゆりかごから墓場まで
 民法は,人の一生に関わる法律でもあります。生まれてから死ぬまで民法と関わるわけで,まさに「ゆりかごから墓場まで」です。
 ところが,池田真朗先生の『民法はおもしろい』に書いてありましたが,民法は「ゆりかごから墓場まで」よりもさらにすごいです。
 民法886条1項を開いて下さい。「胎児は,相続については,既に生まれたものとみなす」と規定されています。「ゆりかご」どころか,生まれる前の「胎児」の段階についてまで民法は規定しているのです。
 次に民法882条をご覧下さい。「相続は,死亡によって開始する」とあります。人が亡くなった後の手続である相続が規定されています。亡くなって墓場に行くことになった後の,その人の財産の処理についても民法が面倒をみてくれているのです。
 このように,民法は「胎児から死後まで」を対象としています。だからこそ,膨大な分量があるとも言えます。

余談:しかし諸外国と比べると少ないほう
 調べてみたところ,フランス民法はなんと2534条まであるようです。すごく多いですね。フランス民法というとナポレオン民法ですが,ナポレオンが作った民法が現在も生きているようです。
 また,ドイツ民法も2385条まであるようで,やはり大変多いです。
 これらに比べると,日本民法は半分以下ですので全然大したことがないように思えてきますね。
 なぜ日本民法の条文が少ないのかというと,当然すぎると考えられた規定がばっさばっさと省略されたからだと言われています。当たり前のことをいちいち規定していたら,一万条あってもまだ足りないと言われたそうです。しかし,学習という観点からは,当たり前のことがむしろ条文に書いてあるほうがわかりやすいように思います。

3 民法とはどのような法律なのか
 この民法入門も,冒頭は「民法とはどのような法律なのか」というテーマでスタートします。もちろん,最初に民法のイメージをつかんでいただくためです。
 かの我妻先生も名著『民法案内1』において,民法の学習をする前に,これから勉強する民法とは何を規律する法律であり,その特色はどこにある,ということを一応知っておく必要があるとおっしゃっておられます。ただし,そのほんとうの意味がわかるのは,民法の研究を一通り終わってからだともおっしゃってますけれど。
 ですので,ほんとうの意味はまだわからなくて大丈夫ですから,まずはイメージをつかみましょう。

4 「民法」という言葉
 民法というのは「民」についての「法」ですので,「民」とはどういうものなのかを考えてみれば,きっと民法の姿も見えてくるでしょう。皆さんは「民」という言葉について,どんなイメージを持っていますか?
 「お上」がいて支配される「民衆」がいて,その支配される「民衆」が「民」だ,というイメージかもしれません。これは「たみ」の意味の「民」ですね。
 他方で,「みん」という意味の「民」には,「公ではない」というような意味もあります。「民間」とか「民営」とかで「民」を使う場合です。
 民法の「民」はいったいどちらの意味なのでしょうか?

余談:「民」の字源
 漢字辞典で調べてみたところ,「民」という字は象形文字であり人の目を刺している形をあらわしているとあって仰天しました。視力を失って神や人に仕えている人のことを「民」と言うようになったそうです。ひえーって感じですね。

5 民法の原語
 民法の語源にさかのぼってみましょう。
 「民法」という言葉は,もともとcivil lawの訳語として生まれた言葉でした。
 穂積重遠先生の『法窓夜話』によると,津田真道が慶応四年に「民法」という訳語を作ったそうです。慶応四年というと1868年ですので,ちょうど明治維新があって明治元年に改元された年です。「民法」は,ぎりぎり江戸時代に誕生した言葉だったんですね。
 ただ,正確には,英語のcivil lawではなくオランダ語のBurgerlykregtの訳語だったとのことです。この時代でもまだまだ蘭学は影響力があったんでしょうか。ともあれ,Burgerlykregtもcivil lawも同じ意味のようですので,civil lawの訳語ということで話を進めましょう。

6 civilとは
 じゃあcivilとは何なのかということになります。
 辞書によれば,civilという単語には,お上に支配されるというニュアンスはなさそうです。「市民」や「民間」といった意味だということです。つまり,「みん」のほうの意味だと言えます。
 したがって,civil lawとは「公ではない民間についての法」「市民についての法」だと言えます民法は,一般市民の自由な活動について定めている法なのですね。

余談:民法ではなく都人士法?
 大村敦志先生の『広がる民法1』を読んでいたら,「民法」という訳語は悪い,なぜなら東洋の伝統の下では「民」は被治者を,「法」は支配のための道具を指すから,「民法」だと「民を支配する法律」になってしまうからだとあります。むしろ,civil(大村先生の著書ではフランス語でcitoyen)は自らの社会に責任を持つ者を指すのであって,「士大夫」という言葉が最も近い,明治初期には「都人士」と訳すべきという主張もあったとのことです。
 士大夫は中国の歴史小説か何かで読んだことがあるような気がしますが,都人士は聞いたことがないですね。しかし「民法」でなく「都人士法」が採用されていたら,都会の人しか対象にしていなさそうなイメージになってしまいますので,やっぱり民法でよかったんじゃないでしょうか。

7 民法は「市民社会についての法」
 民法が何について規定しているのかは,もうすでに法学入門でもお話ししてますよね。
 近代では国家と市民社会が役割分担をしており,民法は市民社会についての法だ,ということでした。覚えている方は,何を今さらという感じだったかもしれません。

8 財産法と家族法
 市民社会というのは,自由に財産を作って取引をしたり,家族を作ったりすることができる社会でした。
 そうすると,このような市民社会に関する法は,取引や財産について定めている法であり,また,家族関係について定めている法でもある,ということになるはずです。したがって,民法は「財産法」と「家族法」とで構成されています。
 六法を開いてみましょう。
 民法は,第1編から第5編まであります。このうち,第4編は「親族」,第5編は「相続」となっていて,両者で「家族法」を構成しています。第1編から第3編までが「財産法」ということになります。日本の民法も,前半が財産法,後半が家族法になっています。

余談:民法はカネとオンナの法
 このように民法は財産法と家族法とで構成されているのですが,言うなれば「金と女の法」だと悪口を言う人もいるようです。女などと言うと性差別と言われそうなので「金と男女の法」というほうがまだよいのでしょうか。

9 財産法を学ぼう
 民法には「財産法」と「家族法」とがあるわけですが,このうち家族法は取り上げないことにします。今回,学習するのは「財産法」だけです。
 もちろん家族法も大変重要なのですが,学習という観点からは,財産法が基本になります。これからは民法=財産法というイメージでもかまいません。

余談:ドライなお金と情愛の家族
 同じ民法に規定されていながら,家族法は財産法と少し,いやかなり毛色が違っています。別の法律として扱われていると言ってもいいくらいです。
 考えてみれば,これはむしろ当然のことです。ドライなお金の問題と情愛のからむ家族の問題とが同じように規定されてはたまったものではありません。
 ただ,財産法と家族法とがまったく無関係というわけでもありません。たとえば相続は家族法に規定されていますが,お金が問題になります。そうすると,財産法の知識も必要になります。

10 民法と商法
 ところで,財産や取引についての法というと,民法ではなくむしろ「商法」なのではないかと思っている方もいるかもしれません。かく言う私もそう思っていました。
 もちろん,商法も財産や取引を扱っています。
 しかし,商法は,文字通り「商い」に関する法ですので,商売として取引を行っている場合を対象としています。民法は,財産を持つことや取引を行うことについて,商売としてかどうかに関係なく規定しています。
 つまり,民法は,財産や取引関係について一般的に定めているのに対し,商法はそのうち商売として行っている場合だけを規定しているわけです。そうすると,商売として行っている場合には民法と商法の両方が適用されそうですが,そのような場合には商法が民法に優先して適用されることになります。

余談:民商法
 民法と商法はいずれも財産取引について定めているわけですから,あえて別の法律にしなければならない論理必然性まではありません。実際,スイス民法は民法典と商法典とを統一して作成されています。その影響を受けて,中国民法やイタリア民法も民商法が統一されているようです。
 しかし,統一されると条文がとても多くなってしまいそうですから,別の法律になっているほうが学習しやすいかもしれません。

11 私法の一般法
 まず民法が一般的に規定しており,特別な場合にだけ商法が規定されるという関係を,「一般法・特別法の関係」と言います。
 そして,民法は「私法の一般法」とも言われています。
 民法が財産や取引についての基本であり,商法や破産法や労働法等がその応用という関係になります。まずは基本を理解しないと,応用である商法等はまったくわかりません。したがって,まずは基本である民法を学習するというわけです。

12 交通事故の場合の公法
 「私法」の反対が「公法」でした。私法と公法の違いを説明する事例として,よく交通事故の例が出されるので紹介しておきます。
 人に重傷を負わせるといった重大な交通事故を起こすと,警察に捕まることがあります。自動車運転過失致死傷罪という犯罪に該当します。犯罪に該当すると,国家が刑罰権を行使し,罪を犯した人に刑罰が科されます。これは国家と人との間の問題ですので「公法」の問題です。
 また,警察に捕まらないまでも,切符を切られて自動車運転免許に処分があるでしょう。免停やら免許取消やらになってしまう可能性もあります。これも,国家が人に処分を課すわけで,「公法」です。

余談:科すと課す
 ちなみに「科す」は刑事罰について使います。「科」は「とが」すなわち「罪」ですので,犯罪のときに使うことになります。
 他方で,「課す」は義務や責任を与える場合に使います。

13 交通事故の場合の私法
 他方で,交通事故の被害者は加害者に対し,「治療費払え」「仕事休んだ分を補償せよ」「痛い思いしたから慰謝料払え」といった請求をするかと思います。
 これは,人と人との関係ですので「私法」の問題ですし,まさにお金に関する問題ですので財産法の問題です。
 このように,一つの事件について,いろいろな法律が関係することがあります。法が役割分担をしているわけです。

14 市民社会の自由な活動
 民法は市民社会に関する法でしたが,市民社会は市民が平等な立場で自由に経済活動をする場でした。そうすると,経済活動はすべて市民に任せておけばよく,市民と市民とが交渉して話し合ってすべてを決めればばよいのであり,国家が介入する必要はないんじゃないかとも思えてきます。つまり,民法はいらないんじゃないか,ということです。
 しかし,いくら自由な経済活動とはいえ,最低限のルールは決めておかないと取引にもならないでしょう。また,違法な行為や不正な行為をする者があらわれたら,対処できるようにしておく必要もあります。たとえば,お金を支払わないような奴が出てきたときのために,国家が強制的に取り立てるような制度が必須です。

15 強行法規と任意法規
 ですので,民法は,市民が自由に取引し,経済活動を行うためのルールを定めています。
 基本的には市民の自由に任されていますので,市民が自由にルールを変えることも可能です。つまり,市民と市民とが話し合って2人の間のルールを作ることが可能です。2人が合意したルールが民法に優先されるのです。もちろん,最低限のルールの部分は変えられませんが,その他の部分を変えることは自由です。
民法の中の変えられない部分を「強行法規」,変えられる部分を「任意法規」と言います。任意法規の部分は,話し合いをせずとくに決めなかった場合に適用されることになります。

16 民法は利害調整のための法
 このように,民法は自由な経済活動を行うためのルールですので,たとえば刑法のように国家が人に対して刑事罰を科すような場合とはまったく雰囲気が異なります。
 刑法では,どう解釈するかで刑事罰という重大な効果が決まるわけです。したがって,刑法は厳格に解釈する必要があります。
 しかし,民法では,市民と市民との自由で平等な取引が対象ですので,むしろ市民と市民の利害をいかに調整するかという観点で解釈することになります。適切に利害を調整することが民法の目的と言えます。そして,適切に調整するためには,一方の利害だけではなく,他方の利害についても配慮する姿勢が必須です。

17 まとめ
 今回は,民法は何について規定している法律なのかについてお話ししました。多少なりとも民法のイメージはつかめたでしょうか。民法は利害調整のための法なのだということを押さえていただいて,次に進みましょう。